約50年ほど前、23歳の頃だったと思う
突然「司書の資格を取ろう」と思い立った
今となっては、その動機も思い出せない
ただ一つ確かなのは
当時の私は「知りたい」という欲求に
突き動かされていた、ということだ
調べてみると
まずは「司書補」という資格があるらしい
そこで私は、講習を受けるために仙台まで
およそ40日間通うことになった
今の人からすると想像できないと思うが
その頃はまだパソコンもスマホも無い時代
何かを調べる手段といえば
百科事典か図書館くらいしかなかった
つまり「知る」という行為は
何十巻もの百科事典を購入するとか
図書館まで出向かなければ
手に入れられないものだったのである

だからこそ、図書館は特別な場所だった
静まり返った空間の中に
無数の知識が眠っている
その知識をつかさどっているのが
司書という存在だった
講習を受けるうちに
私の胸をさらに高鳴らせる事実を知る
地元の県立図書館に無い資料でも
国立国会図書館
さらにはアメリカの議会図書館と
つながっていて
取り寄せることが可能というのだ
その話を聞いた時、正直、震えた
「知りたい」と思えば
世界中の知識に手が届く…
それはまるで
宇宙に手を伸ばすような感覚だった
そして、時代は流れた
今や、スマホ一つあれば
世界中の、過去から今この瞬間の情報まで
瞬時に手に入る
さらにはAIが文章を書き
絵まで描いてくれる
あの頃、図書館で感じた
「無限の可能性」は
いまや日常の中に溶け込んでしまっている
便利になったのは間違いない
だが、ふと思う
あの時、わざわざ仙台まで通い
講師の話に耳を傾けながら感じた
あのワクワクは
どこへ行ったのだろうか
もしかすると…あの頃は
知りたい事にたどり着くまでが大変で
その過程こそワクワクの正体だったのかも
だからこそ、ちゃんと自分の中に残った
今はどうだ
すぐに手に入る代わりに、すぐに忘れる
