五十代の頃、私は運命の出会いをした
相手の名は…純米酒
私は、特に酒に強いわけでもないのに
ビール、ウイスキー、焼酎、何でも飲んだ
が、ある日純米酒に出会い世界が変わった
「これは…美味いし、やさしい」
そう、美味くて、やさしいのだ
何に対してやさしいかというと
翌日の自分に対してである
多少飲み過ぎても
あの「頭が割れるような痛み」もなければ
「二度と酒は飲まん」と
天に誓いたくなる “吐き気” もない
残っているのは、心地良い酔いだけ
まるで「昨日は楽しかったですね」と
酒が語りかけてくるかのようである
(これは危険だ)
本来ならそう思うべきだったのだが
人間とは都合のいい生き物である
私は「これはいくらでも飲める酒だ」と
解釈した
そこからは早かった
銘柄変遷の旅が始まる
あれも良い、これも旨い
気がつけば冷蔵庫は酒屋の縮小版
晩酌は「一日のご褒美」から
「一日のメインイベント」へと昇格した
そして当然のごとく、飲酒量も右肩上がり
そんなある日、健康診断の結果が届いた
γGTP…見たこともない数字があった
「え、これ間違いじゃないですよね?」
さすがの私も驚き、二ヶ月間断酒
しかし、人はそう簡単に変わらない
「アルコール度数が低ければいいか?」
「水で割れば実質セーフでは?」
などと、いろんな屁理屈を総動員し
私は見事に晩酌生活へ復帰した
度数がちょっとだけ低いワインにしたり
さらには
“薄める”という錬金術まで編み出し
酒との共存を図ったのである
その後、仕事を引退してからは
市からの健康診断案内も無視している
現在のγGTP?…もちろん知らない
知らないというのは、実に平和だ
少なくとも、数字に怯えることはない
ただし…
たまに、体のどこかが
「そろそろ測ってみたらどうだ」と
囁く気もしないでもないが
私はその声を
今日も純米酒でそっと流し去っている
