無神論者

二十代の頃の私は
少々いきがっていた

何か困った事、大変な事、が起きる度に
「玉磨かざれば光なし」だの

「天よ、もっと艱難辛苦を
 我に与えたまえ」だの
そんな大げさな言葉を口にしていた

当時の「大変なこと」など
今思うと、大したことでも何でもない
そんな出来事ばかりだったように思う

また、その頃の私は
かなりの無神論者でもあった

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「神はいらない。私が神だ」
などと、ずいぶん威勢のいいことを
本気で思っていた時期でもある

だが、今考えてみると
もし本当に人生を揺るがすような出来事が
目の前に起きていたら、どうだっただろう

きっと私は、たちまち
「神様、なんとか‥」などと言って
ぺしゃんこに潰れていたに違いない

いや、今だってそうだと思う
本当に大変なことが起きたら
おそらく私はひとたまりもない

それでも
これまで何とか暮らしてこられた

大きな破綻もなく
今日までやってこられた

それは、自分が強かったからでも
賢かったからでもなく

ただただ周りの人たちに
守られていたからにほかならない

家族や友人、仕事で関わった人
名前も思い出せないような人も含め
多くの人に支えられて
ここまで来たのだと思う

それらを一言で表すとするなら、
もしかすると、それが
「神様」というものなのかもしれない

そう思うと
これまで大過なく過ごしてこられた事が
しみじみ有難く感じられる

改めて、感謝である